お休みの日はたいていぷらぷら歩いてる。東京タワーを観に行ったり。生田緑地へ行ったり。足がしんどくなってきた頃にはちょうど日が暮れているので、街に出て美味しいお酒とごはん食べて、ふたりともお腹いっぱいなのと疲れで口数少なくなって解散。
人と人とが一緒にいるって、やっぱりとても難しいことだなあって何度目だろう、おもう。思わなかったことがない。価値観も好みも、チェック項目は星の数ほどあるのね。さいきんわたしが不安定なこともあって恋人にうまく添うてられない。夜はわんわん泣いてる。夜の苦しみは朝になれば朝だというだけで解決するから、わんわん泣いて眠る。わたしはすごく幸せだなあと思いながら、苦しいよう苦しいようって甘えてわんわん泣く。
記憶力がぜんぜん無いので、いろんなところに行ったこと今はiPhoneで残しているけれど、やっぱりちゃんとしたカメラが欲しいなあと思います。動画も好きなので、動画も撮れるもの。k-xか、ペンライトで悩んでいて、あまりに二つが違うから、この悩みはまったくもって出口が見えない。コンデジも、デジイチも、一台にどっちも欲しい。それは無理です。

4月の頭に恋人ができた。去年の秋に再会した小学校の同級生の中のひとり。一緒に学んでいた当時はもちろん、再会した頃でさえも相手を男性として全然見ていなくて、ただの趣味が合う男友達でしかなかったのにいつからこんな気持ちになったのか。とんとん拍子に話は進んで、今になってわたしは目を白黒させている。ふしぎです。
二人とも音楽が好きで本が好きでアートが好き。散歩が好きで食べるのが好きで公園が好き。お互いにひとりっこで、今までの恋人とは趣味が合わなくて、自分の趣味を一人で楽しむのに慣れっこだったから、渋谷のタワレコで、ツタヤで、リブロで、話せる相手がいるということに、しかもそれが恋人だということに、にやにや顔を見合わせている。
たぶん今が一番楽しいときで、嫌なところが何も見えないとき。だんだんと「こんなひとだと思わなかった」なんて、お互いに思い始める。でも私も彼も今までを繰り返す気はさらさらなくて、私の抱えている問題も、彼の抱えている問題も隠すことなく、今のところ一つ一つ誠意を持って片付けていけていると思う。いつの間にかこんなに気が合うふたりが、再会して、惹かれ合って一緒にいるなんて、すごくたくさんの偶然だねって笑い合う今が、どうか長く続くといいな。
TWO DOOR CINEMA CLUB/I CAN TALK

[二月に観たものたち]
HiMwith原田郁子O-nest/HiM初見。予想もしていなかった楽しさ。隣の人にがつんがつんぶつかりながら(隣の人も激しく踊っていたため)、息が切れるほど踊る。知識がぜんぜん無くても、いいものはいいと体で分かって、それが一番たいせつ。
INO hidefumi@六本木スパデラ/HiMの後に観たので、なんだか上品に感じてしまって。それでもろくにステージは見えなかったが、暖かい会場の中で丁寧に作られる音に包まれてとても気持ちよく、ゆらゆら揺れてた。お手洗いに行って帰ってきたらINOさんが歌ってらして、申し訳ないが連れと「あれはなんだったのか」と言い合いながら帰る。
映画「おとうと」/家族で。今の我が家の状況を薄めたような設定のストーリー。母が吉永小百合の優しさに腹を立てていた。弟の恋人が吉永小百合の家にやってくるシーンの、安い化粧、安い服、うだるような暑さ、部屋に漂っているであろうキツい香水の香り、それらがもの凄くリアルで攻撃的で、わたしの頭の中の「おとうと」はあのシーンがすべて。
アルスエレクトロニカ東京都現代美術館/思っていたよりコンパクトな展示。テノリオンに触れられたことが印象に残っている。頭上に地図の浮かび上がるプラスチック繊維のソファ、上空から目の花びらが舞い落ちる筒。それらがある部屋を二階から見下ろした眺めがきれいだった。初めて見るものに触れる、小さくまっさらな人たち。
レベッカ・ホルン東京都現代美術館/自ら中身をさらけ出すピアノ。羽のいやらしさ。静かな反逆。シュヴァンクマイエルを観るような、どこか不安な、どこか甘美な気持ちになる。鳥を意識しだす。
No Man's Land@フランス旧大使館/入り口で募っていた募金、帰り道に募ればいいのにと思った。そうすればずっとたくさん集まったと思う。学園祭のような雰囲気なので、テンションがとても上がり、跳ねるように見て回る。部屋に入って息を呑んだ小松宏誠の作品。鳥の亡骸から生える羽の花。鳥を更に意識する。
あと恵比寿映像祭、ゲルハルト・リヒターも見てきました。ここにきて恥ずかしくなってきたので感想はおしまい。
今日は束芋見てきました。明日は東山魁夷見てきます。まとまった休みは最後だろうから、今は気持ちが悪くなるほどに、いっしょうけんめい遊んでいます。

東京湾のすぐ近くのタワーマンション、53階のゲストルームで昔からの友だち達とたこ焼きパーティー。強度の高所恐怖症なのでベランダの手すりごしにしか撮れなかったけど、ものすごく綺麗な夜景。作り途中のスカイツリーが真っ正面に見える。
小学校の六年間を全て一クラスで過ごした私たちは、10年ぶりの再会なのにあっという間に馴染み、さいきんしょっちゅう遊んでいる。わたしには兄妹がいないからか、男女関係なく一つの毛布で雑魚寝するそれが嬉しくて嬉しくて、一人で一睡もできなかった。
朝を迎え、そのまま何人かで渋谷シネクイント、「(500)日のサマー」の初回。うまくいこうがいかなかろうが、夢中になれる相手を見つけられた喜びは何ものにも代え難い。少し前に観た「かいじゅうたちのいるところ」でもそうだったけれど、最近は映画の中の感情に対しての琴線が緩くて、最初から最後まで絶えず泣きながら観ている。音楽がすごく良くて、サントラを買う。
わたしのことをどう思ってるかなんてどうでもいい。周りの人たちことがたまらなく好きで好きで、今はひとり部屋で高ぶる頭を冷やしてる。

明けました。今年もよろしくお願いします。

twitterlast.fmも始めて、小さな自己顕示でいっぱいいっぱいです。でもはてなは唯一読み手を気にかけることなく書ける場所なので、今年はもっとちゃんと使っていきたい。
きっと昨日と今日のわたしは違う人間だし、そう考えたら一年ごとに区切って「2009年はこんな年」なんて表すのは難しいことだと思うけれど、むりやりに考えてみれば、2009年はいろんなことが楽になった年だったと思います。一年間、安定しているのが当たり前だったし、それは大好きな人が亡くなっても同じだった。なんでか生きていることがずっと恐かったのが、今のわたしは寧ろ何も恐いものがない。たぶん父のおかげ。
バイト先の暴君院長ともなんだかんだでこのところ仲が良い。始めは怒鳴られるたんびに心がすり減るようで参ったけれど、めげずに頑張ってよかったな。恋人と別れてからのわたしはずいぶん自分の荒が目立つようになった。人に受け入れられて当たり前だと根拠もなく思っていたようで、とんでもない、今のわたしは誰とも一緒になっちゃいけません。もうちょっと自分に厳しくしてからです。
年末のゆらゆら帝国のライブがもんのすごく良くて、今まで観たどのライブより最高に良くて、一生懸命首を伸ばして、耳から目から体のすべてから吸収した。ずっとゆらゆら帝国クラムボン、その二つがあればわたしは幸せだったけど、去年はいっぱいCD買ったし借りた。音楽の話ができる友だちがぐぐんと増えて、ライブに行くたんびに近くの人と友だちになって帰ることが奇跡のようでびっくりした。エレグラの眩しさと寒さがすごく鮮やかな思い出になって残ってる。
ほんとにいい年だった。今年もきっといい年になると思う。去年より頑張るつもりなので。みなさまの一年も幸多からんことを。

10月10日は、野音へくらむぼんを観に行ってきました。
先行も一般も全然取れなくて、取れないなら取れないで縁がなかったんだと思える性格なんだけど、結果的に譲っていただけてこうして観れて。一昨日の夜まで「観れない人」だった自分が、今「観れた人」になってることが今でも信じられない。
今回はくらむぼんは勿論だけどお客さんがとても良かった。野次も、歓声も、視界のあちらこちらでくねくね揺れてる体たちも、全部ひっくるめてのくらむぼんだよなぁと思う。ララバイサラバイで恋人を思い出して泣いたり。folkloreの合唱の中でステージに帰っていく三人を見つめて祈ったり。最初から最後までぐっと集中して一緒になっていたから、一晩明けた今でもなんだかほわほわ浮いたようになっている。足が地についていない。

チケットを譲ってくださった方が、初めてお会いするのにすんなり馴染んでしまう不思議な方で、帰りの電車をご一緒する間の、なんだか安心してしまう笑顔を見て、これだ、とハッとした。綺麗な服を買ったり、化粧品を取り揃えたり、マメに幹事を買って出たり。目的をいつの間にか忘れてたけど、私はこれが欲しくてやってたんだ。自分の人生がこれからもまだまだ続いて、今までにないいろんなことがあるんだと妙に実感した夜。

少し長くお付き合いしていた人と、どうにも先に進めなくなってしまって、お別れしました。
何回も繰り返して決心したことなので、はっきりと落ち込んではいないが、たまに突然動悸とめまいがしたりする。学校から帰るとじんましんが出たり、腕がアトピーのように痒くなったりしている。今までは気持ちばかりが先行して「つらいよつらいよ」と甘えていたので、こうしてストレスが体から現れるっていうの、我ながらなんだかすごく格好いいなーと有頂天になっているわたし。いつだってレベルが低い。

その人はわたしのピアスを気に入らなかったので、軟骨や耳たぶに開いていた五つのピアスホールは今はもう全部塞がっている。自分でもそれに納得していたつもりだったのに、お別れして初めて湧いてきた欲求は「軟骨にガツンとしたホールを開け直したい」というもので、やけっぱちな性格が三年経っても全然変わっていないことにほとほと呆れる。